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【ハルマリ突撃インタビュー】 CPK GALLERY_vol.3 nusumigui(山杢 勇馬)

インタビュー企画第三弾。年に4回、季節ごとにコレクションを発表する「nusumigui」。今回はデザイナーの山杢勇馬さんにお話を伺いました。

nusumigui

「今、服と出会うこと。 話す、食べる、ミシンの音、 ツギハギ、つくる、 あなたのかたち 着て、脱いで、共に暮らす 誰かのための、わたしの服」
廃材や身の回りのもので構成されたオブジェクトが立ち並ぶ展示室を抜けると、そこにはまるで小さな仕立て屋さんのような空間が広がっていた。ラックに立ち並ぶ優しい色味の服たちはまだ未完成のものも混ざっている。

ハル:居心地が最高のスペースですね。アイテムはこちらの会場で作っているのですか?

山杢:ここで作っている物と持ってきた物を混ぜて置いてあります。会期中気温の寒暖差がすごかったじゃないですか。後半戦ではお客さんに生地を選んでもらって、秋物のスカートをここでオーダーメイドで作ったりもしました。かなり即興戦だったのが、朝一で名古屋から来てくださったお客様がいてその方は気になっていたワンピースがあるとのことだったのですが、もうそれはすでに売れてしまっていたのでその方が名古屋に帰られるまでに一着つくりました。

ハル:すごい。公開作業部屋だ。デザイン画とかも描かれるんですか?

山杢:1から作る事の方が多いですが、最近は古着のリメイクをしているんです。デザイン画はざっくりは描いたりしますが、古着とかは一回解体して自分が今までつくってきたパターンと組み合わせて裁断し直してミックスしたりしているので絶対デザイン画通りにはならないんです。その場で「あ、このパーツ使えそうだから使おう」っていうかんじで臨機応変にやっています。けっこうその場勝負みたいな服作りをしています。

ハル:古着はどこから仕入れるのですか?

山杢:けっこういろいろです。横浜にはブランドをやっていたりすると入れる倉庫があるのでそこへ行ったりとか。今って年間100万トン消費されていてそのうち90万トンが焼却処分されているらしくて。一からつくるにあたって、もう資源も足りていないという状況で一からテキスタイル作るって自分にとってはどういうことなんだろうって考えて。服をリサイクルする取り組みもいでもそういう活動の部分をあまり押しすぎるとやっぱり違和感を感じてしまう気がして。事実は意識しながらものづくりがしたいなと思っています。いな、と思ったんです。京都に「ひなや(https://twitter.com/hinaya_kyotoって会社があるんですけど、そこの会社がリサイクル活動をしているんです。「ひなや」の社員さんで資源を回収して、また新たに生み出すという活動をしている人がいて、僕もその活動に一年参加しました。古着を集めてくると1キロあたりにポイントがつくんです。それはエコマネーポイントと言って、貯めると電車に乗れたりする。期間限定の実験的なものだったんですけど、そこまでできた。そういう取り組みをやったのがきっかけでニットなども古着を活用しています。今回の会場も、HYOTAさんのアトリエにあるものと自分のアトリエにあるものを合わせてつくったんです。廃材ばかりだから費用がほとんどかかってない(笑)

ハル:ブランドを始められたときからお客さんはどうやって増えていったのですか?

山杢:僕、最初の頃はすっごく派手な格好をしていたんです。TUNEとかFRUiTSなどのストリート・ファッション雑誌がすごく好きで、若い頃は原宿に行きまくってました。ウェンディーズの地下に行くと大体誰かしらがいるのでくっちゃべったり、仲間と一緒に古着屋行ったり、みたいな生活を1年間くらいして。そしたらTUNEとかシトウレイさんにスナップを撮ってもらえるようになって、「彼は服をつくっています」という紹介のされ方をした。会う人に僕の服つくってよ、と言われるようになっていって、そしたらまたその子がスナップされて、という連鎖で「あの服一体なんなの」っていう現象が起きていました。いて。フリマで服を買って自分でアレンジしたりすることにハマっていきました。でも最初はやっぱり自分には買えないアイテムの似たようなものをつくったりして服作りをしていきました。

ハル:すごい、口コミみたいな感じですね!!

山杢:ほんとにそんな感じですね。それで原宿のセレクトショップが声をかけてくれて、そこからブランドをスタートしました。

ハル:仲間内から外へ広がって行ったっていう感じなんですね。どのタイミングでブランド名は決めたんですか?

山杢:まずはブランドっぽいことをしたいと思って展示会を始めたんです。そのときに名前が必要だなと思って「tsumamigui(つまみぐい)」ってつけたんです。なんとなく僕の中で語呂がいい気がしたのと、横文字でYuma Yamamokuだとちょっとかっこつけすぎかなって思って。今となってはそれもよかったかな、って気がするんですけど(笑)2010年はTwitterとかも流行りだした時期で、SNS検索が普及し始めてきた頃だったんですよね。それで「つまみぐい」で検索したらアダルトなコンテンツばかり出てきてしまって、、、それでやめて「nusumigui」にしたんです。洋服のテイストも最初は全然違って。ガムテープが貼ってある服とか、一回洗ったら壊れてしまいそうな服ばかりつくっていました。若かったなあ。

ハル:服に対する考え方も変わったんですか?

山杢:変わったと思います。僕もストリートから入ったときはまだ若いし、そういう子達を対象にしていたので、感覚的にすごく合っていたんですよね。年を取っていくにつれて自分が二極化していた時期があって、nusumiguiはこうあるべきだっていう思いと、でも自分はこの服は着ないだろうなっていうのがぶつかって、お客さんの顔が思い浮かばなくなってしまったんです。このときにけっこう悩んで、原点に立ち返らないといけないと感じました。そのときに自分が本当に着たい服はなんだろうということを考え直したりして。あとは結婚してからも大きな変化があったと思います。奥さんもアパレルで働いていたんですけど、結婚してからはレディースの服が増えましたね。今までは僕のつくった服は彼女には似合わないものが多かったんですよ。切り替えの位置だったりとか、奥さんとああでもないこうでもないと話し合って今の形に落ち着いたという感じです。お客さんの層も結構変わって、夫婦できてくださって、お互いの服を選んでくれたりする方たちも増えました。子連れでお子さんがいたりとかも多いです。自分が今30歳なんですけど、やっぱりそれくらいの人たちとけっこうコミュニケーションとれているかな。うちの服は授乳ができるように一部服を開けられるようにしたりとか、お客さんに合わせて仕上げをしているんです。今回の展示でもちょっとポケットをつけて欲しいと言われて縫ってあげたり。だから一応アフターケアも僕が死ぬまでやります。

ハル:えー!最高ですねそれは。

山杢:nusumiguiの男性のお客さんってなぜか背の高い人が多いんですよ。僕は162センチとかなんですけど、お客さんで大きい方って188センチくらいの方もいて。そういう方にはどのアイテムも全部小さすぎるのですが、僕が大きくしてわたすんです。それを楽しんでくれている人も多くて、ある人に大きい服を用意して待っていると他の大きいお客さんがそれを買って行っちゃったりして。

ハル:街にいる仕立て屋さんみたい(笑)

山杢:今は神奈川にアトリエがあるのですが、墨田に住んでいるときは本当ににそんな感じでした。ファッションブランドというよりは、街の服屋って感じでいいかなって思ったりもして。でもショーのような見せ方に憧れていた時期もありました。それこそMIKIO SAKABEの坂部さんとかwrittenafterwardsの山縣さんにすごくよくしていただいて。writtenafterwardsは少しだけお手伝いしていたこともあって、その関係で「絶命展」も一度参加したんです。まだパルコとかでやる前に試験的に一度開催されたとき、新国立美術館でtiit(ティート)っていうブランドと僕とTAKASHI NISHIYAMAの3ブランドで合同ショーをやらせてもらったんです。モデルさんも当時KENZOとかRAF SIMONSのランウェイを歩いているような人たちを起用して。そういうクオリティで一度ショーができたのはすごくいい思い出です。でもそれを定期的に続けて行くかっていったらそれは違うな、という気がしていて。今回みたいに自分の好きな空間を作って、お客さんとコミュニケーションをとれる空間があればショーは必要ないなって。ショーじゃない見せ方でも世界感は共有できると思っています。nusumigui10周年とかの節目でまたショーはまたやってもいいかな。ゴマ(山杢さんの愛犬)を登場させたりして(笑)

ハル:今はメインはお一人で活動されているんですよね。ブランドを大きくしたいという思いは全然ないのですか?

山杢:今は基本的に全部僕一人で作っているのですが、タグをつけたり本当に細かい仕上げは奥さんがやってくれています。システマチックに量産するような規模のことは考えてはいませんが、自分の手の届く範囲で大きくしたいとは思っています。僕は2010年にブランドを初めて8年目になったのですが、その当時と比べたら僕みたいなブランドもいいよねって言ってくれる人がとして増えてきている気がして。バイヤーさんとかも、僕一人でつくっているとなんだかお遊びみたいな感じで捉える人もいたんですよね。ブランドの既存のあるべきシステムに乗っかっていないと見てもらえない、と感じることは多々ありました。でも最近だと新宿のNEWoManさんなどの大手とも一緒にできるようになってきたので、確実に変化はあると思います。

ハル:山杢さん、若い頃は実はバイクレーサーを目指されていたとお聞きしました。今の山杢さんからは想像もつかないような過去ですね(笑)

山杢:あっ、そうなんですよ(笑)うちの父がバイク好きで。幼稚園くらいの頃からもうバイクに乗せられていました。高校二年生のときに関東一になって、高校三年生のときには国際ライセンスのB級を取得した。HONDAとかウイダーinゼリーとかのスポンサーもついてました。でも高三の時、テスト中に転倒して膝が手羽先みたいにばきっと折れてしまったんです。腰の骨を移植したのですが、それがきっかけでもうバイクの道へは進みませんでした。

ハル:じゃあそのときに怪我をしていなかったらまだいま頃バイクの道へ進んでいたかもしれないってことですか?

山杢:乗っていた可能性はあると思います。やっぱり人生何が起きるのかわからない、っていうことをその時体験しました。僕もバイクの道に決めきっていたのに、その怪我から状況ががらっと変わるという経験をしてから、「未来ってわからなくない?」と思うようになりました。だから一生服をつくっていきたいと思ったところでどうなるかはわからないなって。

ハル:やっぱりそこへの想いが強すぎると状況が突然変わってしまったときにショックが大きすぎますよね。

山杢:そうですね。自分がショックを受けるのが嫌だから未来を決めきることをしないのかもしれません。

ハル:nusumiguiは山杢さんの人生の変化にあわせて自然に変化し続けてきたのですね。

山杢:はい。僕の考えでは、ものづくりっていうのは自分に正直でいないとできなことなのかなと思っています。これから先僕がずっと服作りをしているか、っていったらどうなるかわかりません。ある日突然陶芸家になってしまうかもしれないし(笑)たまたま服だった、っていう感じもしています。服じゃないこともできたら全然やりたいです。

編集後記:

自分の心の赴くままに、やりたいことには気が済むまで向き合い続ける。ありのままの現状を受け入れ、変化を恐れない。
「nusumigui」のデザイナー山杢さんの生み出すものはピュアで自由で、子供のよう。小学校の頃、秋になると栗を拾いに近所の公園に行った。食べれないタイプの栗だった。真っ赤に染まった木の葉も拾った。それらは暖房の効いた部屋に持ち帰るとすぐにカラカラになったけど、冬を迎えるまでずっと部屋に飾っていた。にしなやかな精神が宿っている気がした。今思えば、毎年それをすることは私にとって「秋をする」ことだった。季節を「感じる」のではなくて、季節を「する」。あの頃は変わりゆく季節ともっと密接だった。山杢さんのアトリエに足を運ぶお客さんたちも、もしかすると同じような気持ちかな、とか。今年はどんな秋になるでしょう。

haru.

ハルマリProfile

haru.

同世代のメンバー4人を中心に制作されるインディペンデントマガジン『HIGH(er)magazine』の編集長を務める。『HIGH(er)magazine』は「私たち若者の日常の延長線上にある個人レベルの問題」に焦点を当て、「同世代の人と一緒に考える場を作ること」をコンセプトに毎回のテーマを設定している。そのテーマに個人個人がファッション、アート、写真、映画、音楽などの様々な角度から切り込んでいる。

https://www.instagram.com/hahaharu777

小林真梨子

1993年、東京生まれ。大学入学をきっかけに写真を始め、「楽しいこと」を追求しながら写真を撮っている。月刊誌『MLK』を制作ほか、アパレルブランド等の撮影も行う。

instagram.com/marinko5589

 

Presented by CPK GALLERY
「服の見せ方」を考えるギャラリー
https://www.instagram.com/cpk_gallery

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